基本情報
hajime さん
2009年ごろは、止まらない咳による 気管支炎以外、問題なく生活していた hajimeさん。
しかし、2011年1月 28歳のとき、突然胸が痛み、緊急入院。肺炎や心外膜炎を発症していることが判明。その後 採血や皮膚生検を経て、EGPA確定診断へと至った。
10年以上の闘病生活の中、手足のしびれなどの後遺症を抱えながらも、本業の仕事と並行して、趣味の自主制作映画や YouTube動画制作を勢力的に活動している vlogger (ブイロガー:動画でライフスタイルを発信する人、ビデオブロガーの略)。
↑ hajime さんが制作する vlog(動画によるブログ)。ぜひ一度ご覧ください😄 ↑
EGPA 確定診断
性別 |
男性 |
確定診断時の年齢 |
28歳 |
確定診断日 |
2011年 3月 |
診断病院 |
埼玉県内の病院 |
担当科 |
呼吸器科 |
主な自覚症状 |
肺の痛み、発熱 |
EGPA 診断前のわたし
26歳の頃、咳が止まらなくなり 気管支炎をわずらう。呼吸器科クリニックにて吸入器(アドエア)による治療を受ける。それ以外には特に何かを併発するということもなく、仕事や趣味の自主映画製作やアウトドア(ツーリングや登山)を楽しんでいた。
2011年1月下旬 急に胸に激痛 が走り、呼吸器科クリニックにて 肺炎と診断される。1週間ほど仕事を休む。回復したかに思えたが2月中旬 再び胸に激痛が走り、再び呼吸器科クリニックに。胸部レントゲンの結果、心臓が拡張していることがわかった。近隣の総合病院を紹介され診察ののち、緊急入院することになる。
EGPA 確定診断までの道のり
最初の総合病院では、心外膜炎を起こしていることがわかり、心嚢ドレナージ術を受けた。心嚢水(しんのうすい:心臓の周りを取り囲む袋のことを心嚢といい、その中の液体のこと)の分析調査を行うため、心臓外科のある総合病院への転院した。
連日39℃の熱があり、採血・胸部レントゲン・CTなどの様々な検査を受けた。
数日後には心臓外科から呼吸器科に移る。この時、結核性心外膜炎や肺化膿症などの可能性も上げられた。この頃の私の仕事が野生動物や家畜を飼育する動物園の飼育係と言う点からも、いろいろな考察がなされた。
入院して2週間ほど経過した2011年3月7日の採血結果によりRF定量(リウマチ因子)が基準値をはるかに上回る682.1(基準値0~20 IU/ml)という数値が出たことと、好酸球数が多いことから、「チャーグ・ストラウス症候群(のちのEGPA)」の可能性が高いということを伝えらる。
全く聞いたことのない病気だったため、とにかくひたすらネット検索をして調べまくった。その後、皮膚生検(右足首あたりの発疹を採取した)の結果、正式に「チャーグ・ストラウス症候群」として診断された。
初期治療として、プレドニン30mg の経口摂取をスタートした。2011年3月16日に免疫グロブリン療法もおこなった。その後の検査結果で心外膜炎も収まるとともに熱も平熱に下がった。その頃になると手足のしびれを感じるようになる。2011年3月31日退院。
EGPA 予後
その後は膠原病内科のある病院を紹介され、現在もそちらに通院している。
退院後は 手足のしびれにより、杖をついての生活をしばらく続ける。その時に、帯状疱疹をわずらいしばらく歩行が厳しくなるも回復。少しずつ体力も回復し、仕事に復帰する。
それから数年後に、結婚。転職も数回する。
2020年7月現在。プレドニン1mgとアザニン50 mgを毎日摂取し、日常生活を発症前とほぼ変わらないくらいに送っている。
日々のセルフケア
しびれを忘れることもあれば、季節の変わり目や仕事の忙しさなどにより、しびれが突然強くなることもあります。
私はなるべく睡眠をしっかりとることと、手足のマッサージや温めることを心がけています。
また適度な有酸素運動(ウォーキングやランニング)を行うようにしています。
メッセージ:EGPA診断を受けたばかりの方へ
突然のことでなかなか受け入れることが出来ないと思います。どうしてこんなことになったのか?とついつい自暴自棄になってしまう時もあるかと思います。
なってしまったことは仕方ありません。どう付き合っていけばいいかも時間が少しずつ解決してくれます。
また、社会という大きな壁が立ちはだかることもしばしばあります。
だけど、今はSNSでたくさんの方と情報共有することできます。私がEGPAにかかった頃は、ほとんどありませんでした。
一人で抱える辛さとてもよくわかります。
今回投稿させていただいたのも、共に乗り越えていきたいと思ったからです。
インターネットという世界で繋がっています。
不安は一つ一つ取り除いていきましょう!!